絶対勝つぞブログ

有益な情報しか書きません

僕がこの一年で気づいた真理50個

 

1.すべての人間はNPCではない

2.人には人の人生があり、それは自分が思っているよりもイベントに富んでいる

3.人は人生のどこかのタイミングで意識の大変革がおこる可能性がある

4.そしてそれは、自由度のあがった高校卒業後の数年間が一番起こりやすい

5.陰のオタクくんはどこかで意識の大変革を起こさないと、自己肯定感が低い人生を送ることになる

6.自己肯定感が上がると世界の解像度があがる

7.世界の解像度とは、世界について入ってくる情報量のことで、それは知識が多かったり、意識が高かったりするとより多くなる

8.自己肯定感を挙げるには最初に努力する必要がある

9.一度自己肯定感があがると以降循環的に上がりやすくなる

10.道徳的な人間になると自己肯定感があがる

11.道徳的な人間になるには意識的に言動を変えなくてはならない

12.人の悪口は直接本人に言えること以外は言ってはいけない

13.人のうわさをするときは陰口は言ってはいけない

14.人は褒められると自己肯定感があがる

15.人は褒められると嬉しいし、褒めた方も気持ちがいい

16.良いことをすると気持ちがいい

17.ありがとうございます、とか、ありがとうを口癖にするといい

18.レジの店員さんにありがとうございますというと気持ちがいい

19.卑屈になるといいことがなにもない

20.逆張りはかっこわるいし損しかない

21.勉強は人生が豊かになる行為だからするといい

22.勉強をする理由はマクロでは「人類が発展していくため」、ミクロでは「自分の生活を豊かにするため」

23.勉強というのは学問的なことでなくてもよい。例えば女遊びなんかでも、女性について学べるし、漫画やアニメを見ることも感受性を鍛えたりできる

24.しかし、受け身な行為は勉強ではない。一歩踏み出して考えてみると、それは勉強になる

25.休日は能動的にリラックスをしないと、将来休日の使い方がわからず無駄にする

26.惰性で作業をし続けるのはよくない。休むという行為は能動的な行為である

27.何事にも寛容になるとよい

28.寛容になると怒りの沸点があがるので、よくインターネットとかで暴言吐いてる人が滑稽でみじめにみえてくる

29.物事を決定する際には一回ブレーキをかけて吟味すべき

30.自分を俯瞰的に考えることは大事である

31.しかし、あんまり俯瞰的に考えると物事にのめり込めないので、時にはバカになることも大事である

32.おいしいものを食べると幸福度に関わらず、幸せな気分になれる

33.温泉に入ると気持ちがいい

34.日本で働いている外国人従業員はマジですごい。とくにコンビニはすごすぎ

35.負の感情を抱くのは自由だが、それを外に出さない方が良い

36.出会いは自分から見つけに行かないとない

37.ツイッターはしないほうがいい

38.ツイッターyoutubeを見てる暇があったらさっさとお風呂にはいったり作業をしたりするべき

39.適度に身体を動かすことが大切

40.ダイエット中にラーメンは食ってもいい

41.糖質を断つダイエットするやつはアホ

42.ちゃんと朝ご飯をたべたほうがいい

43.睡眠時間は7時間以上とるべきである

44.おさかなをたくさん食べるのがいい

45.お酒飲めなくても飲み会とかには参加したほうがいい

46.自分の好きを表現するのは大切

47.自分へのご褒美と称して何かを買う行為はいいことだが回数が多すぎるとただ欲しいものを買ってるだけになる

48.心にギャルを飼うとなんかどうでもよくなる

49.すれ違う人間全員○す勢いで生きていくとメンタルが強くなる

50.時間が経つのは早い

普通という呪い

【閲覧注意かもしれません】

最近日清の台湾まぜそばにはまりました。卵を掛けて、刻みのりやネギをいれて食べるとマジでうますぎます。200円以下で買えるのでどうぞ。

 

ところで、僕は常々「普通」という言葉は呪いなんじゃないかと思っています。

一般に普通とは、最低限クリアすべきステータスで、多くの人がそうなのだから、そうでない自分はダメなのだという劣等感がある。そういうイメージがあるんじゃないかと思います。

よく「みんなみたいに普通になりたかった」とかって言いますよね。よく言ってる人見かけるイメージあります。

でもこれ、なんか矛盾してませんか?普通の人は、普通が故にたくさんいるのだから、自分は普通でないと言っている人をよく見るという状況はおかしいわけです。

なぜこんなことが起きるのでしょう?

僕の答えは「普通という言葉を一元的に考えすぎているから」だと思っています。

言葉にするのが難しいのですが、僕は、脳内では人のステータスを多角形で思い描くことができると思います。

たとえば、ここに6人の人がいるとしますね、6人は6つのステータスをこのようなレーダーチャートで表せるとします。

f:id:Weakmathchart:20201117011242p:plain

それぞれの人の名前は色の名前とします。左上だったら赤さん、右下だったら青さんと呼びます。

さて、この図の見方ですが、一つのステータスについて、中心点に近いほど能力が低く、外側にあるほど優秀、真ん中は普通だとします。

例えば、

赤さんはAの能力が秀でていてFがちょっと低い。

黄色さんはCの能力が低く、他は平均程度。

黄色さんはCのことで「どうして私は普通じゃないんだ」と落ち込みます。黄色さんはCについて、他の人はみんな普通にできているのに、どうして自分ができないのか、と思ってしまいます。

でもよく見てみると、他の人も、低い部分を持っています。

僕は、普通というのは、多くの人のステータスを平均化して、低い部分を見えなくしてしまったものだと思います。↑に見せた六角形を全員重ね合わせるとこんな感じになります。

f:id:Weakmathchart:20201117010717p:plain

この、重なり合った部分の平均を取った線を灰色の線で示します。

f:id:Weakmathchart:20201117012009p:plain

灰色の線は平均をとったもの

僕は、灰色の線こそが普通の正体なんじゃないかと思います。

さらに人の数を増やしていけば、灰色の線はより正確な五角形に、それも結構大きなものになるでしょう。そうすると、その灰色の線より下の能力を持つ人は、「自分は普通以下だ」というコンプレックスを背負ってしまうことになります。でも、そういう人は意外と多くて、だから「自分は普通じゃない」というのをよく見ることになるんじゃないでしょうか?

これは自分の努力でどうにかならないことにも当てはめられて、例えば片親であるとか、盲目であるとか、そんなことにも適用できそうです。

大分前、「家ついて○ってイイですか」って番組で、めちゃめちゃはっちゃけてそうな、人生楽しそうなギャルが出ていて、「あー、よくいるいるこういう人~~パリピだー」と思ってみていましたが、母親がいないからいろいろ頑張っているという話をしていて、「なるほど、こういうパリピでも事情というものはあるのだなあ」と思いました。片親であることは、良い悪いの問題ではないのですが、普通ではない、と一般に言われますよね。(こういう話題はデリケートなので気を遣うようにしたいですが、言葉が浮かびません、すいません)

だから、普通という言葉をあまり大きく力強いものとしてとらえないで、だれにでもそういうところがあり、劣っていることは決して駄目なことではないのだという事を、僕は思っていますよ、という話でした。

 

今回の話は、コンプレックスを持っている人にはとても残酷な話で、だれも得することがないと思うので、ツイッターで拡散せずに、自分が思っていた事としてここに残しておくだけにしようと思います

頑張っていない人などいない

現代社会では、皆が疲れているような気がしています。電車に乗ればみんな誰一人として笑顔ではない。死んだ目をしてスマホや本を見ているか寝ている。何かをやらかせばすぐに人に当たる、あるいは自己嫌悪に陥る、そういった雰囲気がある。

雰囲気といえば、苦しんだ人の方がえらいとか、楽に金儲けするのは汚いとか、そういったものもありますよね。これらは僕たちが子供のころから、周りの人たちに刷り込まれ、苦を美徳であると映されてきたからだと思います。

で、楽にやってる人を見ると、「自分が苦しんでいるのに、あいつはなんなのだ」という怒りが湧き、人に当たってしまうこともあるかもしれない。自分に余裕がないからイライラしてしまい、余裕がなくなる悪循環に陥る。

 

みなさんに訊ねたいことがあります。

 

自分はがんばっていると思いますか?

 

よく考えてください。自分の心に聞いてみてください。

「自分は仕事も恋愛もうまくいっているから、楽をしている」なんて思って、自分が努力をしていないと思っていませんか?

「自分は毎日職場と家を往復するだけで、何も新しいことを成せていないから、だめだ」なんて、自分に課題を課せすぎていませんか?

「自分よりも頑張っている人がいるから、自分はまだまだだ」なんて思って、自分の評価を下げていませんか?

 

大丈夫、みんなはちゃんとがんばってるよ!!!!!!!!!!!!君たちは偉い!!!!!!!!!!!!!!!

 

だって、よく考えてみてください。自分以外の人を考えないで、自分だけを見て考えてください。起きて、ご飯をたべて、息を吸って、吐いて、排泄して、寝る。これが動物の基本ルーティンですよね? 

人は頭脳を手に入れて、文明を発達させてここまで来ました。それらはすべて文明を発展させるため、次の世代がよりよい社会にしていくための、いわば、本能からかけ離れた部分ですよね。

僕たちの先祖は火を持った時から、苦の道を行く選択をしてしまいました。知能を持ってしまったばっかりに、楽と苦という概念を生み出し、共有してしまった。いわば皆さんが苦しんでいるのは先祖たちのせいなのです。皆さんの怠惰のせいではありません。

それなのに、現代社会に生まれてしまったばっかりに、動物本能以外のことをしないといけない。これはとても悲劇的なことだと思います。

 

頑張っていない人なんていません。人は常に心の底に何かしらの不安を抱えているし、それは大なり小なりその人から忌避されるべき存在です。僕たちはそれから目をそらすように、努力というものをしているのです。

努力なんてものは高次元すぎるのです。

努力をしないといけない原因のその不安のわだかまりは、すべて昔の人たちが作り上げてしまった社会システムのせいです。君たちは何も悪くないのです。

 

といっても、その業は深く、それから解放されるのを許されるほど社会は寛容ではありません。だから、できるだけ力を抜いて、自分が頑張っているという意識だけでも持ってほしいのです。自分のことを卑下しないでください。

 

結論

おまえらはえらい!!!!俺も偉い!!!!みんな偉い!!!

 

 ついしん

マジできつくなった時に聞いてたASMRの動画です。

www.youtube.com

 

 

 

 

 

良いと思ったら感想宜しくお願いします!!

くっっっっそおもしれえ芸人ランキング!!!!!!!!!!!!

3位 オードリー

ネタがまず面白い。毎回毎回同じ流れのように見えてたまに小石を置くように変化させてくる。面白い。

最近は別の番組でMCなんかもしてる。おどぜひ、面白すぎる。youtubeで見れるので見ましょう。僕のオススメはイメージ戦略に悩むヴィジュアルバンドです。そして磯貝アナかわいい。

若林も春日もキャラが濃い。若林はツッコミがうまい。存在しないツッコミbotのアイコンが若林だったのも象徴。話が面白い。そして文章が読みやすい。

春日は春日単体の一発ギャグをもっている。それは春日が春日として成り立っているということでもあり、春日が春日として完結しているということでもある。まさにメビウスリング。ボディービルダー。

 

2位 コウメ太夫 

15年くらい前にエンタの神様を主戦場として活躍した現代の花魁。

現代小梅哲学の祖。一日一回「~かと思ったら~でした」形式でツイートをする毎日チクショーは、その難解さと芸術性で多くの人を引き寄せる。アカシックレコードと接続している彼は、すべてを知っているはずなのに、小出しに、遠回しに、芸術性を伴って世界の真理を説いている。まるで思わせぶりな女のように。

日本の大学には、彼の思想の片鱗を読み解く「○○大学コウメ大夫研究会」なるサークルが存在し、日々探求が進められている。かくいう僕も阪大コウメ研の同人誌『築抄』を購入したのだが、彼らはソフィストのごとく、現代小梅哲学をもがきくるしみながらも鮮やかに解き明かしている。まことに素晴らしい思想の書であった。

ちなみに、彼は昔の芸名は『小梅太夫』だったのだが、ちょっと前に占い師に勧められて『コウメ太夫』に改名したのだという。

 

1位 なかやまきんに君

やはりパワーには勝てない。彼は筋肉人として、youtubeで筋肉の情報と勢力を広めている。40歳、嘘だろ??? 

なかやまきんに君のいいところは人を傷つけないことだ。傷つけるのは筋線維だけ。ポイントたかい。絶対に闇営業をしなさそうな芸人ランキング一位(今僕が考えました)。

そして知識量ヤバイ。筋肉をつけるためにアメリカのサンタモニカカレッジに留学するも、勉強が大変すぎて、筋トレができず、帰ってきた時は筋肉おちまくり状態。しかし筋肉と引き換えにつけた知識は伊達じゃない。最近ではゲームするときになかやまきんに君の動画でスピードラーニングしてる。

本業はボディビルダーで、ボディビル大会ミスター75キロ級では2位や3位という確かな実力の持ち主。優勝はまだとったことがないらしいので優勝してほしい、応援してる。

さて、本人曰くアルバイトのお笑いに関してだが、こっちも面白い。

一番面白いのはマグマ中山のネタ。出来あいのスパゲッティを用意し、普通の料理に見せかけてから、「ここからがマグマなんです」とまさかのコペルニクス的転回。Bon Joviの『It's My Life』の音楽に合わせて右手に調味料(チーズとか。焼き鳥のパターンもある)をもち、ポージングをはじめ、サビに入る部分で「ヤーーーーーーーーーー!!!!!!!」と叫びチーズをスパゲッティにぶちまける!まさにシュルレアリスム。勝てねえよ。

 

いかがでしたか?なかやまきんにさんの今後の活躍ですね!

 

ヤー!

ハッ(笑顔)

自己肯定感と大衆性

僕は最近メンタルが強くなってきたと思う。

去年までの僕は無気力な大学生で、本をちょっと読む理想的な怠惰学生だった。そんなわけで、村上春樹の主人公みたいなちょっと斜に構えたひねくれオタクだった。この性格の悪いところはすべてのことにこだわりがなくなってしまうことで、「まあ自分はこの程度だし、(結構低いところで)妥協してもいいかぁ」とか思って何事も身が入らなくなってしまう。怒られたり悪口を言われてもすねて、結局自分の悪いところを内へ内へと押し込んでしまう。

これらは明らかに自己肯定感を下げることにつながり、偶然自分が持っていた(一般的に見て)秀でた部分に縋り、自分の能力を伸ばすことをしなくなる。

 

さて、最近の僕はというと、自己肯定感をそれなりに高めることに成功したし、卑屈になることも(あまり)なくなった。よくツイッターでは「すれ違う人全員○すくらいの勢いで生きてる」って言っているけど、まさにそんな勢いのある心持をしている。だから不安なことがあっても、失敗してもいい、という気持ちになり、一歩踏み出すことの抵抗がなくなる。人と話すときもボソボソ話すことよりもイキイキ!と喋ることに意識するようになったし、なにより眉毛を整えるようになったことは象徴的だと思う。

 

僕の思考がたどった変遷の軌跡は、おおもとには「好きな人ができた」という極めて俗な、だけど当人にとってみれば神聖な体験があった。(このことは恥ずかしいので話しません、w)。このたった一度の体験がバネのように心を弾ませて行った。

それで、せっかく一度きりの大学生活なのだから、何かしないと人生の割に合わない。勉強つまらないし、大学の友達あまりいないし、なので多少前向きに生きてみようという気になった。だから、自分を磨く気にもなり、自粛期間で流行っていたからとりあえず始めた「30日間腕立て伏せ一日100回チャレンジ」も功を成し、筋トレを三か月以上続ける結果になった。

今年読んだ本の中で印象に残っているものがある。

若林正恭『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』だ。

この本によると、オードリー若林は俗にいう社会不適合者で、売れない芸人時代の、歪で醜悪な心と、社会との祖語に苦しんでいた事をつらつらと書いていた。そして、売れ始めてからも、その違和感をぬぐうことができず、しかしそれをスルーしながら生きていける事、そしていろいろなことに気が付き、自己肯定感を得ていく過程だった。

若林は、社会に対して斜に構えた態度であることがもっともダサい生き方であると悟っている。

結局、逆張りをすることが最も生きづらい生き方であると、その本を読みながら確信に変わっていったし、自己肯定感を高めるというのは(集団意識の強い日本人においては)流れに乗っかる事が手っ取り早い方法なのではないかなぁと思った。

結局、特別秀でたものを持っていない人は大衆として生きることが最も楽に生きやすくなる方法なのだと最近の僕は考えている。

小説の感想についておもうこと

小説を読んで読書感想文を書く人がいるが、僕はそういった人々はすごいと思う。僕のいうすごいとは、自分にできないことをできるのはすごいという意味で、だから例えば、なにかで優勝するとかはもちろんすごいし、委員会のリーダーをやるのはすごいし、人を殺すこともすごいと思う。正と負の方向は関係なく、いかに自分から遠いかがすごいかすごくないかの基準になる。

さて、僕が読書感想文を書く人をすごいと思う理由について。僕は読書感想文を書くことが苦手だ。

だって、小説を読んでも感動しない。なんどもなんども読んでいい部分を見つけていけば感動するのかもしれないが、面倒でそんなことしていられない。

小説を読んでる最中のもやもやとした気持ちは、小説を読み終わった後、微量のカタルシスに昇華されていくが、それは何とも言えない広く薄い湖から、塩一つまみほどの固形物に抽出(しかし、そこには不純物が混じる)するような作業で、それを人間性の表れとして放出するにはあまりにも量が少なすぎる。

だいたい、何か感想を持つときって、その広い湖がこころに広がっている状態で、これが純粋な状態であるから、そこに何か手を加えて文字に次元を下げようなんて言うのは、これは精神性の冒涜にほかならぬと感じているわけです。そうすると、こころと外界の境界にある、卑しいフィルターを通るせいで、感想は純度が下がってしまう。

そして、その感想を読んだ人には、絶対に元の湖を復元することはできない。だから感想を書く行為は一見ありがたいように見えて、エゴイズムにしかならなくなる。感想を書くことで、ゆらゆらと揺れる流動的な湖は固形物になり柔軟性を失ってしまう。もっとわかりやすくいうと、変動する気持ち(=感想)に器を与えてしまって、その形を固定し、逃げられなくしてしまうというような効果がある。

感想というのは人のバックグラウンド、つまり人生観が多大な影響を及ぼすものだと思う。子供の時につまらなかったものが、大人になってみたらおもしろいとか、お金がないときとお金があるときとでは受け取り方が違うとか。だから、なにか感想を抱いた時っていうのは絶対に同じ感想を抱くことのないもので、貴重なものだ。僕はそれを、ネットの広大な海に流してしまう行為がどうしてもできない。だから、僕は読書感想文をつらつらと書くことができる人というのは、僕とは違う種類の人間なのだなぁと思うのである。