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自己肯定感と大衆性

僕は最近メンタルが強くなってきたと思う。

去年までの僕は無気力な大学生で、本をちょっと読む理想的な怠惰学生だった。そんなわけで、村上春樹の主人公みたいなちょっと斜に構えたひねくれオタクだった。この性格の悪いところはすべてのことにこだわりがなくなってしまうことで、「まあ自分はこの程度だし、(結構低いところで)妥協してもいいかぁ」とか思って何事も身が入らなくなってしまう。怒られたり悪口を言われてもすねて、結局自分の悪いところを内へ内へと押し込んでしまう。

これらは明らかに自己肯定感を下げることにつながり、偶然自分が持っていた(一般的に見て)秀でた部分に縋り、自分の能力を伸ばすことをしなくなる。

 

さて、最近の僕はというと、自己肯定感をそれなりに高めることに成功したし、卑屈になることも(あまり)なくなった。よくツイッターでは「すれ違う人全員○すくらいの勢いで生きてる」って言っているけど、まさにそんな勢いのある心持をしている。だから不安なことがあっても、失敗してもいい、という気持ちになり、一歩踏み出すことの抵抗がなくなる。人と話すときもボソボソ話すことよりもイキイキ!と喋ることに意識するようになったし、なにより眉毛を整えるようになったことは象徴的だと思う。

 

僕の思考がたどった変遷の軌跡は、おおもとには「好きな人ができた」という極めて俗な、だけど当人にとってみれば神聖な体験があった。(このことは恥ずかしいので話しません、w)。このたった一度の体験がバネのように心を弾ませて行った。

それで、せっかく一度きりの大学生活なのだから、何かしないと人生の割に合わない。勉強つまらないし、大学の友達あまりいないし、なので多少前向きに生きてみようという気になった。だから、自分を磨く気にもなり、自粛期間で流行っていたからとりあえず始めた「30日間腕立て伏せ一日100回チャレンジ」も功を成し、筋トレを三か月以上続ける結果になった。

今年読んだ本の中で印象に残っているものがある。

若林正恭『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』だ。

この本によると、オードリー若林は俗にいう社会不適合者で、売れない芸人時代の、歪で醜悪な心と、社会との祖語に苦しんでいた事をつらつらと書いていた。そして、売れ始めてからも、その違和感をぬぐうことができず、しかしそれをスルーしながら生きていける事、そしていろいろなことに気が付き、自己肯定感を得ていく過程だった。

若林は、社会に対して斜に構えた態度であることがもっともダサい生き方であると悟っている。

結局、逆張りをすることが最も生きづらい生き方であると、その本を読みながら確信に変わっていったし、自己肯定感を高めるというのは(集団意識の強い日本人においては)流れに乗っかる事が手っ取り早い方法なのではないかなぁと思った。

結局、特別秀でたものを持っていない人は大衆として生きることが最も楽に生きやすくなる方法なのだと最近の僕は考えている。